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化学統計論I 安藤耕司のページ sec04

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(1)

55

4 章 反応速度理論

最初に、反応速度理論の標準と言える「遷移状態理論(Transition State Theory, TST)」を、いわゆる活性錯合体と始状態との間の熱平衡を仮定 する旧来の見方で導出する。その後、微視的な動力学に基づいた理論を 展開する。これにより、正準分布の遷移状態理論と小正準分布のRRKM 理論とを統一的に扱うことができる。再交差の効果による遷移状態理論 への補正についても議論する。

4.1 活性錯合体理論

遷移状態理論は古くは活性錯合体理論とも呼ばれた。それは、反応の 中間状態として「活性錯合体」なるものを考え、それと始状態(反応物) との間に熱平衡が成り立つと仮定する

これ以降は、活性錯合体の代りに「遷移状態」という呼称も適宜使う。 反応物(reactant) R から遷移状態 TS を経て生成物 (product) P へと向か う次の枠組みを考えよう。

R ⇌ TS → P

活性錯合体理論では、R と TS の間に前駆平衡を仮定する。すなわち、R とTS の濃度(正確には活量)の比が、反応の進行中も一定に保たれると 仮定する。

[TS] [R] = K

TS から P への変換の頻度を ν と書くとすると、P の生成速度は次式で与 えられる。

d

dt[P ] = ν[TS]

不安定であるはずの中間状態との間に熱平衡を仮定することが、当初厳しく批判さ れたことは驚くに当たらない。1930 年代における遷移状態理論の発展と論争に関する エッセイがある。M. J. Nye, J. Comp. Chem. 28, 98 (2007).

(2)

上の2 式を合せて、反応 R → P の速度定数 (kTST) を得る。 d

dt[P ] = k

TST[R], kTST = νK

理論の主題は、ν と K を微視的に考察することにある。遷移状態近傍 で、反応座標に沿って長さδ の小領域を考える。そこでの分配関数とし て、並進運動の形(式 (3.16)) を仮定してみる。

qt= (2πmkBT )

1/2

h δ (4.1)

ここで、m は反応座標の質量である。遷移状態における他の自由度から の分配関数をQと書くと、

K = [TS] [R] =

qtQ QR e

−E0/kBT (4.2)

を得る。(式 (3.23) 参照。) E0TS と R における零点エネルギーの差を 表す。QRは、反応物側の分配関数である。

ν については次のように考える。まず、TS における反応座標の速度は、 次式の熱平均で見積もられるとする。

¯ v =

0 ve

−mv2/2kBTdv

0 e−mv

2/2kBTdv =

(2kBT πm

)12

これにより、長さδ の TS 領域を通過する頻度 ν は、次式で表される。 ν = ¯v

δ = 1 δ

(2kBT πm

)12

以上のように見積もられたqt、K、ν を用いることにより、次式を得る。 νK = 2kBT

h Q QR

e−E0/kBT

これを速度定数kTST に等しいとする前に、次の点に注意する。式(4.1) で反応座標の分配関数を並進運動のもので近似したとき、正方向と逆方 向の両方を勘定したことになっている。よって、正反応だけを考慮する には、上で求めた値を半分にする。言い換えると、qtから導いたK にお ける[TS] の半分だけが反応に寄与すると考える。結局、反応速度定数は 次式で与えられることになる。

kTST = kBT h

Q QR

e−E0/kBT (4.3)

(3)

4.1. 活性錯合体理論 57 kTSTの計算に必要なのはQR, Q, E0の三つであるから、反応物R と 遷移状態TS の 2 状態における局所的な情報のみとなる。

分配関数QR, Qは、反応物と遷移状態における微視的エネルギー準位 で表される。この意味で、速度定数を統計力学的に微視的に表したもの になっている。

導出2 上の導出は、Eyring により最初に与えられたものに近いとい う点で歴史的意義を見出せるが、分配関数qtの導入の際に「長さδ の小 領域」という曖昧な量を導入した点に危うさが残る。このδ は、打ち消 されて最終式には現れないものではあるが、良く定義された量ではない。 以下では(別の危うさを含むとはいえ) 少し違った考え方を用いることに より、最終的には同じ結果が導かれることを示す。

反応座標の運動は頻度ν で TS から P へ向かうことから、それに相当 する振動数をもつ振動分配関数の形

qν = e

−hν/2kBT

1 − e−hν/kBT

を考える。このν は、活性錯合体が生成物に分解していく運動に対応し ており、それは遅い運動であるとして、次のように近似する。

qν

kBT

(ν ≃ 0)

これを式(4.2) における qtの代りに用いることで、既に導いた式(4.3) と 全く同じ結果を得る。

補足 前章の式(3.24)を参照すれば、式(4.3)

kTST= kBT h e

−∆F/kBT

のように書いて、活性化自由エネルギー∆Fを定義できる。(圧力一定条件下 であれば、ギブス自由エネルギーに置き換える。)

kBT /hの次元は何か。また、300 Kでの値を計算せよ。

(6 × 1012s−1= 6 ps−1)

ピコ秒は、遅い振動や回転など、分子運動の時間スケールに相当する。これ に熱活性化因子が掛かったものがkTSTとなっている。

H. Eyring, J. Chem. Phys. 3, 107 (1935).

(4)

4.2 微視的動力学理論

本節以降は、微視的な動力学に基づいて反応速度を議論する。動力学 とは言っても、軌道を大局的に追うのではなく、遷移状態における局所 的な流れの統計平均を考える。導出には古典力学を用いるが、結果の表 式が状態密度や分配関数で表されるので、それらを介して量子力学的な エネルギー準位を反映させ得る。

4.2.1 位相空間での定義

自由度N の反応系につき古典力学的な位相空間 (p, q) を考える。この 位相空間を、N − 1 次元の超曲面 f (q) = 0 で定義される分割面によって 反応物側と生成物側に分ける。この分割面を通過する位相空間の代表点 の流束は、次式のように書ける。

F (p, q) = δ[f (q)]∂f (q)

∂q · p

m (4.4)

δ[f (q)] の因子は、位相空間を分割面上に制限する。∂f (q)/∂q は q 空間 におけるf の勾配 ∇f (q) であり、ここでは分割面上の法線ベクトルにな る。これと速度ベクトルp/m との内積をとることで、分割面に垂直な流 束成分を勘定する。

練習問題 上のF (p, q) の次元を求めよ。 (: 1/[時間]) 古典力学では、位相空間における各代表点の未来は決定している。すな わち、ある時刻に位置と運動量(p, q) が与えられると、未来の軌跡は運動 方程式によって一意的に決定される。そこで、各点(p, q) に対し、その軌 跡が(問題としている時間スケールにおいて) 生成物側と反応物側のどち らに落ち着くかによって、「反応性」または「非反応性」に分類すること が出来るはずである。これより、特性関数χ(p, q) を次の様に定義する。

χ(p, q) =

{ 1 (反応性) 0 (非反応性)

注意 この関数を位相空間の全領域において決定することは、あらゆる古典軌 道に関して完全な情報を得ることに等しいので、一般には不可能である。よっ て、我々はこの関数に対して何らかの近似を適用する必要がある。次節で議論 する遷移状態理論は、この目的において最も簡便で有用な近似である。

(5)

4.2. 微視的動力学理論 59

補足 有限自由度の孤立系でエネルギーが反応障壁よりも高ければ、有限時間 内で回帰が起きて上記のような分類は出来ないことになってしまう。これはいわ ゆる「エルゴードの問題」と関連しており、ここでは深入りしない。実際には、 反応系を完全な孤立系とするのは現実的でない。凝縮相はもちろん、気相反応 でも分子内での散逸や分子間衝突による緩和が起こる。

4.2.2 小正準反応速度 k(E)

小正準(micro-canonical) すなわちエネルギー E 一定の条件での反応速 度を次式で定義する。

k(E) = h−N

∫ dp

dqδ[E − H(p, q)]F (p, q)χ(p, q) h−N

∫ dp

R

dqδ[E − H(p, q)]

(4.5)

δ[E −H(p, q)] により、エネルギーを E に拘束している。分母の積分Rdq は、反応物側の座標領域に関する積分とする。

上式の分母は反応物側の状態密度を表している。これをρR(E) と書く ことにする。上式の分子にPlanck 定数 h を掛けたものは無次元となる。 これをN (E) と表す。これは積算反応確率と呼ばれる。以上のように意 味付けされた量を導入することにより、小正準反応速度は次式のように 表される。

k(E) = N (E)

R(E) (4.6) 後 で 式 (4.12) に見るように、この分子の N (E) に近似を入れたものが RRKM 理論である。

4.2.3 正準反応速度 k(T )

正準集団(canonical ensemble) すなわち温度 T 一定における反応速度は、 式(4.5) のエネルギー因子 δ[E − H(p, q)] を、ボルツマン因子 e−H(p,q)/kBT

量子力学では、エネルギー固有値をEiとして、状態密度は ρ(E)dE =

i

δ(E − Ei)dE

で定義される。本文中のρR(E) はこれの古典力学的な対応量であり、量子状態に関す る和の代りに位相空間積分を取っている。

(6)

で置き換えたもので定義する。 k(T ) = 1

hNQR

∫ dp

dq e−H(p,q)/kBTF (p, q)χ(p, q) (4.7) (QRは書き下さないが、式(4.5) の分母に対応する。)

練習問題 k(T ) は、小正準反応速度 k(E) の熱平均として、 k(T ) = 1

QR

dE k(E)ρR(E)e−E/kBT (4.8)

QR =

dE ρR(E)e−E/kBT

と表せることを示せ。前頁で定義したように、ρR(E) は反応物側の状態 密度である。

補足 k(E)k(T )は共に分割面の選び方に依らない。これは、古典力学で位

相空間分布関数の満たす「リウヴィル(Liouville)の定理」による。位相空間に おける代表点の分布関数は、「非圧縮性」の流体のように振舞い、閉じた曲面で 囲まれた領域を出入りする正味の流束はゼロとなる。そこで、2つの分割面を考 え、それらを反応に関与する領域から十分に遠く離れた所で閉じれば、各々を 通る流束は相等しくなる。よって、反応速度は分割面に依存しない。しかし、こ

のことはχ(p, q)に近似を導入すると成り立たなくなる。実際、次節で述べる遷

移状態理論はχ(p, q)に近似を導入する。このとき生じる分割面への依存性を逆 に利用して、最適な分割面を変分法で探す変分(Variational) TSTという方法も ある。

4.3 遷移状態理論

既述のように、特性関数χ(p, q) は古典軌道に関する完全な情報から導 かれるべきものなので、一般的には知ることが出来ない。そこで、次の ような近似を導入する。

分割面f (q) = 0 を適切に選ぶことにより、それを通過して生 成物側に向かう軌道は全て「反応性」であるとする。

上記に反するような軌道、分割面を生成物側に向って1 度通過したにも かかわらず、「再交差(recross)」して反応物側に戻ってしまうような軌道 は無視できるとする。これを「TST 近似」と呼ぶことにする。

(7)

4.3. 遷移状態理論 61

4.3.1 モデル

話を具体的にするために次のようなモデルを考える。ある1 つの反応 座標s とその共役運動量 psを選び出すことが出来て、残りの自由度はupuで表されるとする。これらの質量も定義されていて、Hamilton 関 数中の運動エネルギー項は次式のように分離されていると仮定する。

H(ps, s, pu, u) = p

2s

2ms

+ T (pu) + V (s, u)

T (pu) =

N −1 i=1

p2ui

2mui

分割面は次式とする。

f (s, u) = s = 0

これはs の原点を通り s 軸に垂直な平面である。このとき流束は F (ps, s, pu, u) = δ(s)ps

ms

となる。以上の設定により、前掲のTST 近似は次式のように簡潔に表現 される。

χ(ps, s, pu, u) = θ(ps) (4.9) θ は Heaviside の階段関数である§

4.3.2 小正準 k

TST

(E)

小正準反応速度k(E) を求めてみよう。まず、式 (4.6) で導入された積 算反応確率は次式のようになる。

N(E) = 1 hN −1

dpsds

dpudu δ[E − H(ps, s, pu, u)]δ(s) ps ms

θ(ps)

= 1 hN −1

0

dps

dpudu δ[E − p

2s

2ms

T (pu) − V (0, u)]ps ms

(4.10) N (E) に ‡(double-dagger) を付けることで、遷移状態理論が使われている ことを示した。

§x < 0 のとき θ(x) = 0, x ≥ 0 のとき θ(x) = 1。

(8)

次に、以下の関係式を利用して、上式のδ 関数を s に関する部分と u に関する部分に分離する。

δ[· · · ] =

dε δ[E − p

2s

2ms

−ε] δ[ε − T (pu) − V (0, u)]

さらに、分割面s = 0 上におけるポテンシャル V の最小値として V (0, u0) を導入し(理由は後で判明する)、次のようにする。

dε δ[E − p

2s

2ms

−ε − V (0, u0)] δ[ε − T (pu) − V (0, u) + V (0, u0)]

これを利用すれば、 N(E) =

∫ dε

{∫ 0

dpsδ[E − p

2s

2ms

−ε − V (0, u0)]ps ms

}

× { 1

hN −1

dpudu δ[ε − T (pu) − V (0, u) + V (0, u0)] }

(4.11) 2 行目の中括弧内の積分は、自由度 (u, pu) に関するエネルギー状態密度 に他ならない。(式 (4.5) 下の ρR(E) の定義参照。) ただし、ポテンシャル エネルギーはV (0, u0) から測るものとする。このエネルギー状態密度を ρu(ε) と表すことにする。

次に、式(4.11)1 行目の積分の変数を psからεs p2s/2msへ変換する。

これにより、式(4.11) は次のようにコンパクトな形にまとまる。 N(E) =

−∞

0

sδ[E − εs−ε − V (0, u0)]ρu(ε)

=

0

s ρu(E − εsV (0, u0))

さらに、積分変数をεsからε ≡ E − εsV (0, u0) へ変換する。ρu(ε) は ε > 0 において定義されることに注意して積分範囲を変換すれば、次式を 得る。

N(E) =

E−V (0,u0) 0

dε ρu(ε)

これは、分割面s = 0 上において、自由度 (u, pu) が V (0, u0) と E の間の エネルギーを持つような状態数を表している。

δ(x − a) =δ(x − y)δ(y − a)dy

(9)

4.3. 遷移状態理論 63

以上より、小正準反応速度は、次式のように表される。 kTST(E) = N

(E)

R(E) (4.12) このように、エネルギーE での反応速度は、反応物領域の状態密度 ρR(E) と、遷移状態における状態数N(E) との比で表される。これが、いわゆ るRRKM(Rice-Ramsperger-Kassel-Marcus) 理論である。

4.3.3 正準 k

TST

(T )

式(4.9) で表される遷移状態理論の近似を、式 (4.7) に適用する。 kTST(T ) = 1

hNQR

dpsds

dpudu e−H(ps,s,pu,u)/kBTδ(s) ps ms

θ(ps) = 1

QR

{1 h

0

dps ps ms

e−p2s/2mskBT

} { 1 hN −1

dpudu e−(T (pu)+V (0,u))/kBT

}

(4.13) 前節と同様、反応座標s に関する部分と、それに直交する座標 u に関す る部分とに分けて書いた。(エネルギーの δ 関数がボルツマン因子の指数 関数に置き換ったので分離が簡単になった。) 最初の中括弧内の psに関

する積分はkBT /h を与える。2 番目の中括弧内の積分は、自由度 (u, pu) に関する分配関数

Qu 1 hN −1

dpudu e−(T (pu)+V (0,u)−V (0,u0))/kBT

を導入することで、Q

ue

−V (0,u0)/kBT

と書き表せる。(Q

u中のエネルギー

は、V (0, u0) から測っている。) 以上より、最終的に次式を得る。 kTST(T ) = kBT

h Qu QRe

−V (0,u0)/kBT

これは、活性錯合体理論から導いた式(4.3) と等価である。ただし、そこ では次のような仮定を置いていた。

• 遷移状態TS における「活性錯合体」の存在

• TS と反応物 R との間の熱平衡

(10)

本節の導出ではこれらの仮定を用いていない。一方、ここで用いられた 主な仮定は以下の2 つである。

• Hamilton 関数 H において、p2s/2msが分離される

• 分割面s = 0 における遷移状態理論の仮定、このモデルでは χ = θ(ps) および F = δ(s)(ps/ms)

1 番目の仮定は、現実の分子では正確でない場合もあり得る。例えば、反 応経路が遷移状態近傍で曲がっていると、運動エネルギー項に対する遠 心力効果として反応座標の実効的質量が影響を受ける。しかしながら、 遷移状態近傍の狭い領域における運動が反応速度を決定しているのであ れば、実効質量の座標依存性を無視することで運動エネルギー項を近似 的に分離することも許されるだろう。実際の解析において遷移状態理論 がしばしば成功して来たのは、このような事情によると考えて良さそう である。

4.4 遷移状態理論を超えて

遷移状態理論の近似は著しい理想化である。多自由度系、特に凝縮系で は、反応座標方向の動力学は他の自由度からの摩擦を受け、分割面近傍で 逆反応方向に引き戻されることもあり得る。これを「再交差(recrossing)」 と呼ぶ。

再交差する軌道の例を図XX に示した。(a) は、遷移状態理論において は反応性であると見なされてしまう。(b) は確かに反応性ではあるが、遷 移状態理論では二重に勘定されてしまう。同様の考察が(c) および (d) に もあてはまり、遷移状態理論は反応速度を過大評価することが分かる。

遷移状態理論の反応速度と真の反応速度との比 kexact = κ · kTST

として定義される補正因子κ は、「透過係数 (transmission coefficient)」 と呼ばれる。本節では、一般化Langevin 方程式に基づいて摩擦の効果を 取り入れることにより透過係数を見積もるGrote-Hynes (GH) 理論の概 略を紹介する。次に、より古くからあったKramers 理論を、GH 理論の Langevin 極限 (摩擦の記憶効果を無視する極限) として議論する。

例 え ば 、M. S. Child, Semiclassical Mechanics with Molecular Applications (Clarendon) Chap. 10. 多原子分子の Reaction Path Hamiltonian については、S. Kato and K. Morokuma, J. Chem. Phys. 73, 3900 (1980).

(11)

4.4. 遷移状態理論を超えて 65

4.4.1 Grote-Hynes 理論

遷移状態近傍のポテンシャル面は、反応座標s に沿って逆放物線で近 似されるとする。

V (s) ∼= −ω

2b,na

2 s

2

ここではωb,naを「非断熱的障壁周波数(non-adiabatic barrier frequency)」 と呼ぶ(下記注意参照)。式 (2.4) と同様の調和熱浴モデル Hamilton 関数 を考える。

H = p

2s

2 ω2b,na

2 s

2+

i

(p2i 2 +

ω2i 2 x

2 i

)

+ s

i

cixi

注意 ωb,naを「非断熱的」と呼ぶ意味は、以下に示す「断熱(adiabatic)極限」 との対比による。上のHamilton関数で、熱浴座標xiのポテンシャルエネルギー に相当する最後の2項は次のように書き換えられる。

i

2i 2

( xi+ ci

ω2is )2

c

2i

i2s

2

]

よって、sの値を固定したとき、ポテンシャルの最小点はxi = −cis/ω2

i で与え

られる。xiが常にこの値をとるとする。すなわち熱浴がsの運動に「断熱的」に 追随し、sの各点で最小エネルギーを辿るとする∗∗。この断熱極限では上式の最 終項が残り、それが元のポテンシャルV (s)

1 2

(

ωb,na2 +

i

c2i ωi2

)

s2 = −1 2

b,na2 + ζ(0))s2= −

1 2ω

b,eq2 s2

のように実効的に変化させることになる。ここで、式(2.9)を用いた。また、最 後の等号で「断熱的障壁周波数」を

ωb,eq2 = ωb,na2 + ζ(0)

で定義した。(添字eqは、熱浴が常に平衡(equilibrium)にあることを意味する。) 以下、簡単のためωb,eq を単にωb と書く。式(2.11)で述べたように、ζ(0)の付 加項はポテンシャルの谷底の周波数を減少させる一方、上記のように山頂(障壁) の周波数を増大させる。

第2 章と同様、反応座標 s の動力学は一般化 Langevin 方程式

¨

s(t) = ω2bs(t) −

t 0

dτ ζ(t − τ ) ˙s(τ ) + R(t) (4.14)

∗∗これは、電子が核の変位に直ちに適合するとする断熱近似に類似する。

(12)

により記述される。これのLaplace 変換は、

λ2s(λ) − λs(0) − ˙s(0) = ω˜ 2bs(λ) − ˜˜ ζ(λ)(λ˜s(λ) − s(0)) + ˜R(λ)

並べ替えると、

˜

s(λ) = (λ + ˜ζ(λ))s(0) + ˙s(0) + ˜R(λ) λ2ω2b + λ˜ζ(λ)

2.4.3 節で見たように、Laplace 逆変換は、次のように書かれる。 s(t) =

i∈poles

Resλ=λi eλtes(λ)

Res は留数、和は ˜s(λ) の極について取る。すなわち、

λ2−ω2b + λ˜ζ(λ) = 0 (4.15) により決まるs(λ) の極が、実時間の動力学を決定する。˜

導出の詳細は省略するが、式(4.15) の解を λrとすれば、反応速度を補 正する透過係数が、

κGH = λr ωb =

ωb

λr+ ˜ζ(λr) (4.16) となることをGrote と Hynes は示した††。これの物理的な意味について は、そのLangevin 極限を次節で見た後に再び議論する。

4.4.2 Langevin 極限 (Kramers 理論 )

歴史を遡り、1941 年の Kramers 理論について調べる。ただし、ここで は元論文の導出ではなく、Grote-Hynes 理論の Langevin 極限を考える。 後の8.6 節で同じ問題を別の観点から取り上げる。第 2 章で見たように、 式(4.14) の Langevin 極限は

¨

s(t) = ω2bs(t) − ζ ˙s(τ ) + R(t)

††

導出については、原論文R. F. Grote and J. T. Hynes, J. Chem. Phys. 77, 3736 (1982) の他、B. J. Gertner, K. Wilson, and J. T. Hynes, J. Chem. Phys. 90, 3537 (1989), Appendix.

H. A. Kramers, Physica 7, 284 (1941). 詳細な講義ノートが以下で入手可能。 http://www.chem.vu.nl/˜zwan/lectures/kramers.pdf

(13)

4.4. 遷移状態理論を超えて 67

ζ ≡

0

ζ(τ )dτ = ˜ζ(λ = 0) Grote-Hynes 方程式 (4.15) は、

λ2+ ζλ − ω2b = 0 (4.17) という簡単な2 次方程式になる。λ > 0 の解をとって

λr= −ζ +

√ζ2+ 4ω2b

2 (4.18)

を得る。これは、摩擦の強い極限ζ ≫ ωbで、 λr

ωb2 ζ となる。したがって、透過係数の式(4.16) は

κKR = ωb

ζ (4.19)

となる。一方、弱い摩擦の極限ζ ≪ ωb では、式(4.18) は λr≃ωb

と近似されるので、式(4.16) は

κ ≃ 1

を与える。すなわち、摩擦によるTST への補正は小さい。このように、 摩擦の強さζ の関数としての透過係数 κ は、小さな摩擦の極限では 1 か ら始まり、摩擦が強くなるにつれてζ の逆数に比例して減衰する。 補足 元々のKramers理論は、分布関数のFokker-Planck方程式から導かれ た。それによると、上記とは異なり、摩擦の小さい極限では反応速度は摩擦係 数に比例することが示された。これは、障壁を越えるためには反応座標が周り の媒質からエネルギーを貰う必要があることを反映している。反応座標にエネ ルギーを与えるのはランダムな外力だが、その起源は摩擦力と同じく溶媒また は媒質の熱運動であるから、溶媒との結合が大き過ぎない場合には、反応はそ れによって促進される。しかし、ある臨界点を越えると摩擦は反応を抑制し始 める。よって、摩擦係数の関数としての反応速度は、その転回点で極大を持つ。 これは、Kramersの転回(turn-over)と呼ばれる。

(4.17) は正と負の 2 解を持つ。負の解は (Laplace 逆変換から見られるように) 速 やかに減衰する項を与える。GH 理論では正の解を λrに採る。

Fokker-Planck 方程式については、8.3 節で扱う。

(14)

Grote-Hynes 理論再考

上の結果をもとに、GH 理論の式 (4.16) の振舞いを考察する。摩擦核の Laplace 変換 ˜ζ(λ) は、一般に λ が大きくなるにつれ減少する。これは、反 応座標の運動が速くなると媒質から受ける摩擦は小さくなることを表す。 定性的には、速い運動には媒質が追随できない、もしくは媒質が摩擦を 及ぼす前にすり抜けてしまうという描像である。よって、障壁周波数ωb が大きいときは摩擦が小さくなり、κGH 1 となる。これに対し、ωb

小さくなるにつれて摩擦の影響は強く出始め、κGH < 1 となる。

補足 GH方程式(4.15)の左辺をf (λ)とおく。f (λ) = 0の解をλ > 0で探す。 まず、f (0) = −ω2

b < 0。また、一般にλ > 0においてζ(λ) > 0˜ としてよい§ で、f (ωb) = ωbζ(ω˜ b) > 0。よってf (λ) = 0の解は、0 < λ < ωbにある。この範

囲でf (λ)は単調で滑らかとし、そのグラフの曲線をCとする。上述のように、

ωbが大きいときζ(ω˜ b)は小さいので、曲線Cのグラフは下方へシフトし、横軸

との交点はλr ωbに見出される。よって、κGH = λrb 1。逆に、ωbが小 さくなるにつれζ(ω˜ b)が大きくなるので、曲線Cが上方へシフトし、交点λr 左にずれてκGH < 1を与える。このように、GH理論は上段で直感的に述べた 定性的振舞いを定量的に記述している。

§ζ(t) はランダム力の時間相関関数を温度で割ったもの (揺動散逸定理) なので、ζ(t) Fourier 変換はランダム力のパワースペクトルに比例し (Wiener-Khinchin の定理) そ の係数は正である。よって、ζ(t) を Fourier-cosine 級数で表したときの係数は正であり、 そのLaplace 変換も λ > 0 で正となる。例えば、K. Ando, J. Chem. Phys. 101, 2850 (1994).

参照

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