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tokugikon
2009.5.22. no.253
連載
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特許審査第四部長
櫻井 孝
ブータンの伝統舞踊
関係者とともに車に分乗して発電所を設置したシェムガ ンという町に向かうのだが、これがまたたいへんな道 中であった。途中3000メートル以上の山を2度越える。 ブータン政府側は自分の移動のために黒塗りのドイツ製 高級セダンを用意してくれたのだが、道路は未舗装の 部分も多いから、セダンでは随所でお腹を擦ってしまい、 たびたび降りて車を押さねばならない。いい加減閉口して、 他の関係者の乗っていたランドクルーザーに乗り換えさ せていただいた。
3000メートル級の山道を走っていると、針葉樹の枝 にトロロコンブのようなものがたくさん引っかかって いる。聞けばそれも何かの植物らしい。高山に自生す るシャクナゲも見事な大木となっている。そうかと思 うと、1000メートルくらいの低地に降りてくると、む しろ暑いと感じるくらいに気温が高いところがあって、 そこかしこに立派なサボテンが自生している。ヒマラ ヤの山奥にサボテンである。植物相が実に豊かだ。 道路は随所で山肌に沿って走るが、横を見ればまさに 千尋の谷だ。それがところどころ崩れているからまた恐 い。谷の反対側を見ると向こう側にも道路がある。いず れあそこを逆に走るんですよと聞かされる。日本であれ ば難なく橋をかけるところだろうが、それができず、谷 をとにかく渡れるところまで上流方向に走っていき、渡っ たらひたすら谷の反対側を下る。道路のど真ん中には大 きな落石が鎮座している。たまたま走っている時に落ち てきたら一巻の終わりになりそうな大岩である。午後遅 くに目指すシェムガンに着いたときはほっとした。 現場には日本の工事関係者もいたが、とにかく工事 の際にはまずは飯場の建物を作るところから始めたそ うだ。風呂はドラム缶を利用した五右衛門風呂だ。自 分もそこに泊まりたいと言ったのだが、あなたは日本政 インド在勤時代 3 年間のうちに 2 回、ブータン王国に
公務出張する機会を得た。一度は新任大使がブータン国 王に信任状を奉呈する際の随行員として、もう一度は日 本がブータンの山奥の集落に無償資金援助で建設した小 規模水力発電所の開所式典に出席するためである。 後者は、ブータン側から非常に感謝された援助案件で、 開所式典を行うにあたり是非日本政府からもどなたか参 加して欲しいと要請があったのだが、日本本国からはあ いにく誰も出張できないとのこと、インド大使館(ブータ ン王国も兼括)から誰か出席するべし、ということになっ た。たまたま経済班でブータンの事案を担当していた別 の書記官が都合が悪いというので、電力案件は通産省(当 時)のマターだ、とか言って自分が手を挙げたら、すんな り認められ、行かせてもらえることになった。
時期は4月だ。それより前だとさすがにヒマラヤ山中 の国だけあって、雪が深くて入れない。ニューデリーか らはブータン国営ドゥルックエアーのジェット旅客機に乗 り、ネパールのカトマンズ空港でワンストップしたのち、 ブータン西部のパロ空港に降りる。この間の飛行状況や パロ空港についてもいろいろと面白いことがあるのだが、 それはまた別の機会にでも紹介する。パロから車で1時 間ほどで首都ティンプーに入り、そこで1泊。翌朝早く、
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ン ー ン
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行した時も、王城に入る我々を先導するのは、この伝 統舞踊でまさに舞うように踊る2人の踊り手だった。ブー タンには実にいろいろな想い出があるが、この力強い 伝統舞踊も忘れ得ぬ想い出の一つだ。
名残惜しさは十分にあったが、飛行機のフライトスケ ジュールの関係もあり、その日の午後遅くにはシェムガ ンを離れた。道中、山奥の宿泊所で1泊、さらにパロで 1泊して、インドに戻った。おそらくシェムガンのよう な奥地まで日本政府の役人が公式に訪問したのは初め てのことだったろうと言われたが、足かけ5日の出張で 現地滞在は1日弱であった。しかし、10数年を経ていま だに昨日のことのように想い出せるほど、強烈な印象 に残る出張であった。
ブータンは実に奇抜な切手を発行することで知られ た国の一つである。世界初の3D(立体)切手なんても のに始まり、鉄板の切手、音の出る切手(ソノシート になっている切手)、プラスチック製の凹凸のある切手、 絹製の切手などなど、実に多彩である。ただ、自分と してはそういうものよりも、ブータンの城郭とか、民 族衣装などをモチーフにした、素朴なものの方が好き だ。1964年に発行された伝統舞踊の切手などは、まさ に自分がブータンで見たそのままをデザインしている。 なお、1976 年には 3D 切手として仮面舞踏用の仮面を デザインしたものが発行されているので、比較までに 掲載する。その大きさはほとんど郵便ハガキの大きさ と変わらない。使用することはあまり考えていないよ うで、その点からも違和感を覚えるものである。 府の重要な賓客なんだからと、少し離れたところにあ
る「迎賓館」に1人隔離されてしまった。迎賓館といって も山奥のことだから名ばかりで、木造平屋建て。山小 屋と言った方が近い。シャワーからは水しか出ない。寒 くて寒くて、やはり無理を言ってでも五右衛門風呂を使 わせてもらうんだったと後悔しても遅い。
翌日は朝から発電所の建屋内で開所式典だ。ブータン は仏教国だから式典は仏教様式に則って、大僧正の仕切 りで執り行われる。ブータン政府側の主賓は最高裁判所 の長官。みんなブータンの民族衣装で臨んでいる中で、 自分一人だけ背広にネクタイ姿は違和感を覚える。式 典の後は、外に設けられた特設ステージに上がって付近 の村落から集まってきた400人くらいの住民を前に祝辞 を述べる。使用言語は英語だが、この山奥でどれだけ の人が自分の祝辞を理解してくれたんだろうと、失礼 ながら不安になる。
そのシェムガンという町はそれまで発電施設がなく、 山奥で送電線も引けなかったから、たとえば病院など も 1 日に 2 時間だけディーゼル式の自家発電設備で電 気を得ていたんだそうだ。それが日本の援助で発電施 設ができ、これで一日中電気が使える、と現地の人た ちはたいへん喜んでいた。日本から見ると小規模だが、 住民の数の少ない山奥であればそれで発電量は十分だ し、そもそも水力式だから動力源は無尽蔵にある。な かなか素晴らしい援助をしたものだと思った。 一連の行事の後は、近くの広場で村人も参加しての 祝賀パーティーだ。ブタの丸焼きも振る舞われた。現 地ではたいへんなごちそう
なんだそうだ。で、仏教僧 による伝統舞踊が始まる。 ご馳走やお酒が振る舞われ、 踊りが出る。そのあたりは 万国共通なんだろう。ブー タンの伝統舞踊はときに仮 面も着用する。ほろ酔い加 減で見つめる中、男性の踊 り手が実に力強く飛び跳ね るように踊る。別の機会に 新任大使の信任状奉呈に随
1976年4月23日に発行された3D切手 「儀式用の仮面」(ミッヘルBlock#74)。
全体の大きさは 12×15.8cm。 1964 年 4 月 16 日に発行され
たブータンの普通切手。仏教 僧による仮面舞踏「チャム」の ダンサーをデザインしたもの。 (ミッヘル#25)。