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データ 上越市の近代史に輝く先人たち(全件データ) 上越市ホームページ

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Academic year: 2018

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いけなが りゅうしょう

神戸で新しい文化にふれる

1913 年(大正 2)1 月 4 日池永隆勝は、牧村大字原(現・牧区原)

の明願寺に父僧勝と母チヨの間に生まれました。病弱な隆勝は原小

学校を卒業後、京都平安中学校に学びますが、結核のため神戸市の

親戚医師宅で 1 年間の療養生活を余儀なくされました。この時、隆

勝は親戚の西洋館 2 階でラジオ、レコードを自由に聞き、1929 年 (昭和 4)の神戸にあふれる西洋文化の香りを十分吸収しました。

帰郷してラジオの共同聴取を開始する

1930 年(昭和 5)、隆勝は病気治癒の見込みのないまま帰郷しま

す。すぐにラジオを購入して放送受信に努めますが、牧村は電波状

況が悪く、安定受信が可能になったのは、24 時間電気供給が行わ

れる 1936 年(昭和 11)からでした。1937 年(昭和 12)隆勝は、

自分のラジオと近所の佐藤理容店のスピーカーとを針金(有線)で

結び「共同聴取」を始めました。同年は 3 戸でしたが、村民の要望

で範囲は年々拡大し、1945 年(昭和 20)には 560 戸を数えました。

村民のために自主放送を行う

放送は朝 5 時から夜 0 時までNHK番組と自主放送で編成されま した。自主放送では隆勝が火事、配給、出征・戦死など役場からの

お知らせを伝えました。戦後も要望に応えて、高出力アンプやチュ

ーナー、レコードなどを購入して自主放送の充実をはかりました。

1968 年(昭和 43)、この有線放送はTVの普及により役割を終え

ますが、約 30 年に及び多額の私費を投じて機器を備え、情報を伝 えた隆勝の功績は大きいものでした。

教育者として地域に貢献する

隆勝は有線放送の充実に加え、住職、日曜学校の開催、文芸誌編

参照

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