第 3 章 「低声のため」の歌曲の特徴
第 3 節 作品 91≪Zwei Gesänge/2 つの歌≫
第3節では、作品91≪2つの歌≫について考察する。この作品は、アルトというひとつ の声に限定された歌曲であると同時に、唯一のオブリガード楽器を伴う歌曲であり、ブラ ームスの作品の中でも異彩を放っている。
≪2つの歌≫は、1884年12月ジムロック社から出版された。1曲目の<静められたあ こがれ>は同年の夏に作曲されているが、2曲目の<宗教的な子守唄>は1863年から1864 年にかけて既に作曲されていた。<宗教的な子守唄>は、ヴァイオリニストの友人ヨーゼ フ・ヨアヒムとその妻アマーリエの第1子誕生を祝って作曲された。ブラームスはこの子 の名付け親になるほど夫妻と親しく、この作品を夫婦で演奏できるようにという友情の念 を込めて送っている。そしてそのおよそ20年後、<静められたあこがれ>の創作を行い、
まとめて出版されている。
<静められたあこがれ>が出版された経緯として、ヨアヒム夫妻の関係修復というブラ ームスの目論見があった。夫妻は 1863 年に結婚したが、夫の嫉妬心の強さのせいでアマ ーリエの音楽家としての生活がうまくいかなくなるようなこともあり、徐々に夫婦の関係 は悪化していた。1880年秋、夫妻と会ったブラームスはその様子を見てアマーリエに同情 を寄せ、その思いを手紙に書いて彼女に送っている。しかしその手紙が、1884年に夫妻の 離婚訴訟の際にアマーリエの潔白を示す証拠として法廷に提出されたため、ヨアヒムとブ ラームスの間にも完全に修復することのできない亀裂が入ってしまった。そのためこの歌 曲には、「仲違いした二人をせめて舞台上でだけでも和解させたいというブラームスの素晴 らしい、しかし無益な試み」1があったとされている。そのような背景を考えると、この作 品は2曲ともブラームスが夫妻のために作曲したと言える。
1Lucien Stark,A guide to the solo songs of Johannes Brahms,p272.
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①Gestillte Sehnsucht
In goldnen Abendschein getauchet, Wie feierlich die Wälder stehn!
In leise Stimmen der Vöglein hauchet Des Abendwindes leises Weh’n.
Was lispeln die Winde,die Vögelein?
Sie lispeln die Welt in Schlummer ein.
Ihr Wünsche,die ihr stets euch reget Im Herzen sonder Rast und Ruh!
Du Sehnen,das die Brust beweget, Wann ruhest du,wann schlummerst du?
Beim Lispeln der Winde,der Vögelein, Ihr sehnenden Wünsche,wann schlaft ihr ein?
Ach,wenn nicht mehr in gold’ne Fernen Mein Geist auf Traumgefieder eilt, Nicht mehr an ewig fernen Sternen Mit sehnendem Blick mein Auge weilt;
Dann lispeln die Winde,die Vögelein Mit meinem Sehnen mein Leben ein.
静められたあこがれ
黄金の夕べの光の中で
森はなんと厳かにたたずむことか!
小鳥たちのかすかな声の中 夕べの風の静かな悲しみが息吹く 風や小鳥たちは何をささやくのか?
彼らは眠りにつく世界のことをささやいている
心の中で休むことなく 突き動かされる願望よ!
胸を動かすあこがれよ
お前はいつ安らぐのか、いつ眠るのか?
風や小鳥のささやきのそばで
焦がれる望みよ、いつ眠りにつくのか?
ああ、私の魂が夢の翼に乗って 黄金の彼方へ急ぐことなく 私の眼が憧れのまなざしで
永遠の彼方の星を見ることがなければ そうしたら風や小鳥はささやく 私の憧れと命とともに
このテキストは、リュッケルトの1816年に出版された『Jugendlieder/若き日の歌』第
89
2 巻からのものである。リュッケルトの詩には、シューベルト、シューマン、マーラーな ど多くの作曲家が作曲しているが、ブラームスの歌曲作品では、作品94の1<40歳にし て>のわずか1曲あるのみである。
この詩では、「あこがれ」がひとつのテーマとなっている。歌詞からは、あこがれに突き 動かされていた若い日々を思いながら、今ではそれが満たされ、どこか達観して自分の命 を見つめているような人物が浮かんでくる。そのため、タイトルの「静められたあこがれ」
とは、満たされたことによって静められたあこがれであると考える。
この詩はもともと 4連からなっており、リュッケルトの原詩には以下の部分が 3連目と して存在している。
Was kommtgezogen auf Traumesflügeln?
Was wehtmich an so bang,so hold?
Eskommtgezogen von fernenHügeln, Es kommt auf bebendem Sonnengold.
Wohl lispeln die Winde,die Vögelein:
Das Sehnen,das Sehnen,es schläft nicht ein.
夢の翼の上に何がやってくるのか?
何が私にこんなにも不安げに、優しく吹きつけるのか?
それは遠い丘から引き寄せられて 震える太陽の黄金の上にやってくる 風や小鳥はささやいている
あこがれ、あこがれは眠りにつくことはないのだと
この箇所がカットされた理由として考えられることは、ひとつは音楽の形式を優先した ためということである。歌曲としては演奏時間が長くなるということも考慮したのかもし れない。もうひとつ内容的なことを見ると、カットされた連の最終行で「あこがれは眠り につくことはない」として、より情熱的なあこがれが描かれている。これは第2連の「い つ眠りにつくのか?」という問いに対する答えとなっている大切な部分ではあるが、ブラ ームスはこの連をカットしている。ブラームスの音楽からは、「あこがれ」は最後には満た されて眠りにつくような非常に穏やかな印象を受けるため、「眠ることはない」というこの 箇所を省いたのかもしれない。全3連にしたことにより、第2連での焦がれる心と、前後
90 の穏やかさが強調されている。
表28
調性 拍子 速度記号 音楽形式
D-dur 4分の2拍子 Adagio espressivo(ゆるやかに表情豊かに) A-B-A’
音楽形式は、大きくA(第1~41小節)-B(第42~67小節)-A’(第68~98小節)の3部構成か らなる。冒頭に示された速度指示が全体を支配している。
前奏の 5 小節間のヴィオラの旋律は、その後の歌唱旋律にほぼ同じ形で引き継がれてい る(第27小節)。前奏のヴィオラは、広い音域の中で、温かい雰囲気を持つ伸びやかな音楽 を奏でる。ピアノでは、拍頭に低音をもつ幅広いアルペジオが続き、ヴィオラとともに壮 大な自然を描写するようである。特に始めの 5 小節間のピアノのアルペジオは下降音型だ けを用いており、夕日の沈む様子を連想させる。8小節目に向けてひとつのクライマックス を作り上げると、ピアノは絶え間なく続けてきた6連符のアルペジオを徐々に途切れさせ、
12小節目ではヴィオラのみが残される。そしてヴィオラから引き継ぐように、歌の旋律が アウフタクトを伴って始まるが、ヴィオラは14小節目から再び前奏と同じテーマを奏でる。
21 小節目から、ヴィオラはシンコペーションのリズムで感傷的な音色を奏でて、音楽を 表情豊かなものにしている。27小節目からは、それまでピアノが担っていた6連符の動き はヴィオラに受け継がれる。重厚なバスを響かせて壮大な自然を描写してきたピアノとは 対称的に、ヴィオラは軽やかに風の音と鳥の声を描写する。歌は第27~31 小節にかけて、
前奏で見られたヴィオラの旋律を模倣する。30 小節目の「Vögelein」という言葉を含む旋 律線は、アクセントのない「ge」の音節での跳躍が見られているが、言葉のアクセントに 捉われるよりも、ヴィオラのように、この旋律線の美しさそのものを表現することが重要 であるように考える。
42小節目からの中間部では同主調であるd-mollへの転調が見られる。「心の中で休みな
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く動いているあこがれ」という歌詞の表現に伴い、歌はアウフタクトから、ヴィオラとピ アノによる穏やかな間奏の雰囲気を一転させる入り方が必要である。ヴィオラはドラマテ ィックな動きを見せ、ピアノもそれに続いて 1 連目とは全く違う激しい動きを見せる。こ こではブラームスによるテンポの指示はないが、poco agitatoの雰囲気の音楽であり、詩の 人物の持つ「あこがれ」を、ブラームスが非常に情熱的なものと捉えていたことが分かる。
そして54小節から再び「ささやき」を描写する音楽となり、D-durの明るい響きで穏やか な雰囲気になるものの「ihrsehnendenWünsche,wannschlaftihrein?/あこがれる欲望よ、
いつ眠りにつくのか」(第59~61小節)という部分ではd-mollに戻り、どこか緊張感を伴う 音楽の中での問いかけとなる。
A’の箇所からは前半の再現となるが、1 度目とは異なり、66 小節目でヴィオラは倍に伸
ばされ、67小節目でピアノが入る前には1拍分の休符がある。それによって、心を突き動 かしていたあこがれが静められるような印象を受ける。ここでは、「goldneFernen/黄金の 彼方」、「ewigfernenSternen/永遠の彼方の星々」といった自然の果てしない空間を感じさ せるような言葉とともに、再び朗々とした旋律線が現れる。そして第81小節から5小節間、
3度目の「ささやき」の音楽が現れる。1連目では「in Schlummer/眠り」(第33~36小節)、
2連目では「wann schlaft ihr/おまえはいつ眠るのか」(第60~63小節)という言葉がそれ ぞれ繰り返されていて「眠り」が強調されていた。しかし、3連目ではどの言葉も繰り返す ことなく、「mit meinem Sehnen mein Leben ein/私のあこがれ、命とともに」という、詩 の最終行の箇所に長い音価が与えられている。1、2 連目が、言葉の繰り返しを含めて 11 小節であったのに比べ、3 連目では繰り返しはなく、12 小節間にわたってたっぷりと歌わ れる。特に「Sehnen/あこがれ」、「Leben/命」という単語にはそれぞれ3拍、4拍分の音価 が与えられており、一際思いが込められている。それに続く後奏は、37 小節目から見られ た間奏と同一の旋律であるとともに、85小節目からの「mit meinem Sehnen」で始まる歌 の旋律とも同じ旋律で呼応している。
この曲においては、アルトとヴィオラによる互いの模倣がひとつの特徴である。また、